タチソ

大阪府高槻市

大阪府高槻市の東北、成合地区には旧時代の地下施設が残っていました。
タチソとは旧日本軍が使っていた暗号で「高槻地下倉庫」の頭文字をとったものです。
1944年9月、地下に倉庫を作るというタチソの計画がたてられたのでした。
しかし途中から目的が変わり、川崎航空機(株)の陸軍機「飛燕」のエンジン製造工場になりました。
作業員は地元学生・住民の他、強制連行及びその他の手段で連れてこられた朝鮮人でした。
もっとも危険なトンネル開削部分には朝鮮人が作業にあたり、多くの死者が出ました。
働かされていた朝鮮人は三千五百人とも、それ以上とも言われています。
タチソは全部で9000平方メートルあり、全国で四番目の規模を持つ地下施設です。



タチソには20数本トンネルが存在するそうですが、私達が発見できたのはごくわずかです。
最初は見当違いの場所を探していて、地元の人に聞き込みをしたところ、
「朝鮮部落の方じゃないか?」という情報が!!
タチソでは多くの朝鮮人が働かされていたので、その生き残りが部落を形成していてもおかしくは無い!
そう思った私は、朝鮮部落の方へと出向き、そこで聞き込みをすることにしました。

「あのー。。。この辺にタチソってトコがあると思うんですけど知りませんか?」
「.0;0[.;op@¥^.;9j@[0;h@90^p」
「え??」

こ、言葉が通じませんでした。
国内で日本語が圏外になったのは初めての体験ですw
とりあえず朝鮮部落での聞き込みを中止して、その先にある砕石場を目指し、そこで聞き込みをすることにしました。
するとどうでしょう。

「そこんとこにこの前、先生と生徒さん達が入って行ってたのを見たで〜」

と、ほぼタチソ発見!!w
しかしながらその時にはもう日が暮れてしまっていて、山の中が漆黒の闇!
トンネルを発見することが出来ませんでした。

↓赤い書き込みが今までで調査出来た場所。青い書き込みが今までで調査出来なかった場所。

ここからは第二回目の調査になります。
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